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喫茶の歴史

摘みたてのお寺の茶葉

貴方はお茶の歴史をご存知ですか?

伝説や伝承が多く、史実こそあまり知られていないお茶の歴史。「お茶の始まりは栄西が中国からお茶の種を……」とはよく言われますが、ほんとうにそうなのでしょうか?


中国では唐の時代には既に広く飲まれていました。そこから栄西の時代まで数百年間、日本に伝わらなかっただなんて、あまりにも遅れていたと思いませんか?

ここでは、そんなお茶の歴史に関してよくご質問頂くことが多いことから、まとめてみました。皆様のご参考になれば幸いでございます。​

陸羽

陸羽

茶書のグレイテスト・ヒット『茶経』の著者。中国唐代の文人。733から804年。後世の人からは「茶聖」と称賛される。彼の茶室‪「三癸亭」は、‪顏真卿によって杼山妙喜寺に創建。‬‪そのとき大歷8(773)年10月21日、‬‪つまり癸醜年癸卯月癸亥日と‪癸が三つ並んだため、そう名付けられた。

聖武天皇

奈良時代

聖武天皇

奈良時代の天皇。在位は724から749年。「奈良の大仏」を造立したことでも有名だが、初めて国家事業に茶を取り入れた人物でもある。内裏で大般若転読法要が執り行われた折、僧侶たちに煎茶をもてなした。これが後世に継承され、「季御読経」として大般若転読法要と呈茶がされた。

嵯峨天皇

平安時代

嵯峨天皇

平安時代の天皇。在位は809から823年。中国の文人に憧れ、喫茶文化に親しんだ。永忠、最澄、空海らと共に茶盃を交わし、丹波や播磨に茶園を設けた。大覚寺のある大沢池では、茶を喫しながら空海との別れを惜しむ漢詩を詠んだ。「与海公飲茶送帰山一首/嵯峨天皇詠/道俗相分経数年/今秋晤語亦良縁/香茶酌罷日云暮/稽首傷離望雲烟」

『喫茶養生記』

鎌倉時代

『喫茶養生記』

明菴栄西禅師が、中国の数ある茶書を参考にしながら著したとされる茶書。天台宗葉上派の開祖でもある禅師が、密教の立場から茶の効能を明らかに知らしめた。茶は心臓を養生し、長命を得るとし、また虚空蔵菩薩の功徳を得るともした。

興正菩薩叡尊

鎌倉時代

興正菩薩叡尊

鎌倉時代の仏教者。西大寺を拠点に戒律復興運動を勧めた。栄西、明恵の意志を受け継ぎ、積極的に茶を活用した。新年の法要・修正会では八幡神へ献茶、関東下向の折には「儲けの茶」で旅費を賄った。また、宇治橋復興の際、宇治川の漁業は殺生にあたるとし、宇治茶の栽培と販売を勧めた。

黄檗禅

江戸時代

黄檗禅

江戸時代に日本へ伝わった中国明代の禅宗。明の禅僧と共に、ダイニングでの食事や出版様式等、明の生活様式や文化も流入し、日本人の憧れとなった。抹茶(粉末)ではなく散茶(茶葉)での喫茶も黄檗禅の影響によって広まった。主要人物は隠元隆琦禅師。

賣茶翁高遊外

江戸時代

賣茶翁高遊外

賣茶翁を名乗る人物は数人いるなか、その初代。元は禅僧で、黄檗禅の明僧に師事し月海元昭と名乗る。明代の喫茶に触れ、還俗し高遊外を名乗り、茶を売りながら不所有の生活を送った。彼のもとには各派僧侶や文化人が集い、伊藤若冲も肖像画を遺した。黄檗禅の外にも煎茶を広めた張本人。

Author : 山口水鴟

出張講座「正倉院から始めるお茶の歴史」

出張講座「正倉院から始めるお茶の歴史」

お茶で地方に眠り続ける文化遺産的価値を高めます。

 

奈良から宇治茶、そして煎茶道へ。

日本人が歩んできた喫茶の歴史。

知らないままで胸を張れますか?

史料に基づきながら、じっくりお伝え致します。

ご依頼、ご相談はお問合せまで。

講座にご参加いただいた皆様のレビュー(一部抜粋):

SNSで知った / 煎茶道未経験

お茶の歴史を色々知ることができました。

友人から誘われた / 煎茶席経験あり

とても興味深い内容でした。 今度はお茶のお手前を拝見したいです。

友人から誘われた / 煎茶席経験あり

私は中国のお茶の歴史は知っていたのですが、日本のお茶の歴史については勉強してなくて、今回のお話で中国と日本のお茶の歴史がリンク出来て、前より少し理解出来て面白かったです。ありがとうございました♪

SNSで知った / 煎茶席経験あり

お茶の歴史の一端が知れて良かった。

友人から誘われた / 煎茶道未経験

まずタイトル「正倉院からの~」に訪問前は
なぜ京都で正倉院?と感じた訳ですが、それは講義早々のうちに納得となりました。お茶の世界の悠久の歴史を、一時間半あまりの短いレクチャ時間で、分かりやすく、楽しさ多いに、飽きさせず、あっという間の感覚で駆け抜けてお話しいただきました。私はお抹茶の世界にはある程度親しんでいたのですが、今回、煎茶の世界も少し近づく感覚を持つことができ、とてもとても有意義なヒトトキでありました。

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